皆さま、こんにちは。

母は年齢を重ねた今でもお稽古事が好きですが、当時から熱心だったのは自分と重ねていたからかもしれませんね。
その遺伝子は私にも確かに引き継がれています。

ヤマハ音楽教室のグループレッスンではエレクトーンやシンセサイザー、ドラムなどを使ったアンサンブルがあり、それがとても楽しく、ドラムを習いたくて仕方ありませんでした。ドラム担当は2.3学年上のお姉さんで、作曲も上手く、憧れの的でした。

家にはとてもじゃないけどドラムなんて置けないし、よくお菓子の空き缶の裏を叩いて練習していましたよ。ドラムのスティックだけはあったんです。

それは夏休みにどうしても習いたいとせがんで、ドラム教室に入れて貰ったからなのですが、自分がいかにリズム感がないかがよく分かり、子ども心に諦めることを覚えましたね。手足を別々に動かすというのがどうも苦手で、それはグループレッスンのエレクトーンでも顕著でした。それでもドラムを叩きたくて空き缶の裏で遊んでいたというわけです。
何が格好いいかってアンサンブルが始まる合図としてお姉さんがカンカンとスティックを目線の高さで叩くんです。それに憧れていたんですね。勿論家でも鳴らしていましたよ。


憧れは憧れとして取っておくのが一番だと悟った夏でした。

エレクトーンもヤマハではよく使われていました。ヤマハでは作曲もしていましたが、こちらの才能も全くなしで、熱心な母は作曲大会で店代表にでもなったらエレクトーンを買ってあげるというのが口癖でしたが、私の才能のなさを見据えた上でのことかもしれませんね。

エレクト-ンを買って貰うこともなく、特に才能もないままでしたが、グループレッスンはとにかく楽しかったです。それが実ってヤマハ音楽教室アンサンブル大会に出場し県代表となり、当時の大阪厚生年金会館で披露できたのですから。小学校高学年の頃だと記憶しています。

でも、グループ名がダサい。オレンジギャルズ・・・

今日はこの辺で・・・つづく