皆さま、こんばんは。

鈴屋旅館・・・なんてノスタルジックな響きなんでしょう。
今はもうないかもしれないですね。

高校2年生の冬休み。確か終業式が終わって直ぐにシュガー(当時のDCブランド)のピンクのワンピースを着て向かった記憶があります。
初めての講習会、初めての一人での宿泊。緊張した面持ちで鈴屋旅館に入ると地方から参加している高校生が既に何人もいました。同学年か1つ上の学年の女子ばかり、10人くらいだったのでしょうか。
沖縄、北九州、高知、福井、金沢、豊岡、和歌山などから楽器は違えど音大を目指す人ばかり。

民泊スタイルですからあっという間に打ち解け、2年生の私たちは夏期講習でもこの鈴屋旅館に泊まる約束をし、それまでの間文通することとなったのです。
そうして互いに手紙で励まし合い、切磋琢磨しながら音大受験に望んだわけです。

受験当日ももちろん鈴屋旅館です。
その当時私はピアノ科を目指してましたから、スケールやアルペジオの練習から始まり課題曲のモーツァルトを大学の練習室を借りて練習していました。

しかし、しかしです。
無残にもピアノの女神様は私には微笑んでくれず終いでした。


発表の時、母と一緒に行ったのです。なぜなら、その当日に寮の申し込みがあったからです。
地方組のお友だちは皆入寮予定でした。電車通学圏内の微妙な距離の私は抽選だったと思います。一人暮らしには反対だった両親も寮なら承諾してくれたので、お友だちと一緒に喜んで入寮できると思いきや、何と私だけが落ちたのです。

まさかでした。

滑り止めの科には合格したので、入寮の手続きだけはしました。
帰りに母が機嫌を取るかのように、いや、慰めよう気分転換させようと阪急百貨店で洋服とバッグを買ってくれました。その数日後に高校の同級生たちと卒業旅行でディズニーランドへ行くことが決まっていましたから。

今でもはっきり覚えています。
母が入浴中のバスルームの前で、落ちた自分にはその実力しかなかっただけなのに、思い切り八つ当たりをしたのです。人のせいにしたのです。

今日はこの辺で・・・つづく