皆さま、こんばんは。
これからこのブログで少しずつ自分のことを語っていこうかと思っています。
良ければ少々お付き合いくださいませ。

私はプロフィールにもあるように3歳からピアノを始めました。
ヤマハ音楽教室のグループレッスンに母に連れられて入ったのが3歳で、当時教室で一番年齢が幼く体も小さくて、先生の言うことが理解できずに泣いてばかりだったそうです。
それと同時に個人レッスンにも通うようになりました。
確かヤマハ音楽教室センターの中にある個人の先生に就いていました。


母は殆ど楽譜が読めず、小さなノートに先生の言うことを書き留めて、私の横にピッタリ付いて毎日練習をさせていました。この曲は何回練習しなさいとか、何十分しなさいとか・・・
今思い起こせば、母も必死だったのでしょうが、私は個人レッスンが嫌で嫌で仕様がなく、レッスンからに逃げ出した記憶もあります。その練習のさせ方は今では考えられませんね。


反対にグループレッスンは楽しくて楽しくて、同い年のY子ちゃん以外は皆お姉さんばかりの中、少女漫画を覚えたのもグループレッスンだったと思います。
土曜日の午後、家族で出かけて母は私のレッスンに、父は弟を連れて公園へという風な生活でした。
帰りにはお買い物をして帰る、そんなほのぼのとした環境でしたね。
それが小学校4年生頃まで続いたのでしょうか。


5年生で市内から郊外へ引っ越すと、電車でお友だちと通うようになり、個人レッスンの先生もヤマハ音楽教室外で就くようになりました。
今までの先生は優しかったのですが、S先生は眼鏡をかけていて、その奥のギョロッとした目で睨まれると、怖くて怖くて。
練習していないとビシッと叱られる先生でした。
物差しは持ってなかったと思いますが、当時は物差しでペチッと手の甲を叩かれるなんてことも良く耳にした時代です。
とにかく怖かったのですが、その先生とのお付き合いもそれほど長くはなく2年くらいだったのではないでしょうか。何故替わったのかは良く覚えていません。
それ以降はグループレッスンの先生に個人レッスンもお願いすることになりました。
ヤマハ音楽教室にはグレード制というのがあり、毎年のように級を受けていましたから、級取得のためにだけ別の先生に習いに行くなんてこともありました。
熱心ですね。母が。

今日はこの辺で・・・つづく