皆さま、こんにちは。
振り返りを長らくしていなかったので、ヨッチャンの続きから。

ヨッチャンって何?って方のために。
ヨッチャンとは学生の頃梅田3番街にあった洋服とアクセサリーや小物を売っていたお店です。
オーストリアの民族衣装のレースのブラウスなどもあり、それは手が届かなかったですが、小物なら私にも購入できたという話でした。
そのヨッチャンで売っていた憧れの民族衣装のブラウスを初のウィーンで、夏期講習のオーディション前に購入したんです。
コトルバシュの講習会でした。

ここからが続きです。
残念ながら講習会は聴講生になってしまいました。
今から思うと当然です。
コトルバシュと言えば当時「椿姫」や「ラボエーム」で人気の歌手でしたから、その人の前で「椿姫」を歌うなんてケンカを仕掛けるようなものでした。
当然、ケンカなんて相手になるはずもなく鼻であしらわれただけに終わりましたが💦

一緒に行った3人とも聴講生で、旅行気分で行っていたこともあり、ここぞとばかりに色んな所へ観光に出かけていましたね。
そもそも旅行気分ていうのがけしからんですよね!
皆何十曲も暗譜して揃えてくるのに、暗譜がおぼつかない曲もありましたからね。
気合いが全くもって足りませんでした。
もちろん聴講はしましたよ。
でも段々飽きてきて、歌いたいけど歌う資格がないものだから、居るに居れなくなって遊んだんだと言い訳でもしておきましょう。

その講習会の間2週間ホテルではなく、夏の間開放されるウィーン国立音大の寮に泊まっていました。
1階にメンザと呼ばれる食堂があり、そこでゼンメル(ウィーン風にはセンメル)にハム、チーズ、オレンジジュースにヨーグルトと言った簡素な朝食を初めて食べたのでした。
毎日同じだった記憶があります。
でも今思えば、あのゼンメルの外はパリッと、中はフワッとした少し塩気の効いたパンの美味しかったこと。
今でこそドイツパンを扱うお店では見かけますが、当時はどこに行っても出てくるゼンメルに飽き飽きしていましたね。
当時は湿度の関係で日本では難しいとのことでした。

その寮では夏の間ユースホステルのように開放していたので、各国から旅行者が集まっていました。
ある時、トイレの扉が全部外されていたことがありました。
アメリカ人のいたずらだったのですが、アメリカ人はどこに行ってもうるさい印象でしたね。
記憶の断片をたどっているので、そんなことしか思い出せないのが悲しい・・・💧
その寮でも夜遅くまで騒いでいるのはアメリカ人でした。
別にアメリカ人に対して嫌悪感があるわけではなく、外国人とそれまであまり接したことがなかっただけに強烈な印象として残っているだけですからね。

その後無事、講習会を終え、次に向かったのがベネツィアでした。
夜行列車で8時間かけてベネツィア駅に降り立ったときの感動は忘れられません!
水上バスやゴンドラが狭い運河を行き交っている様はウィーンとは全く違う景色で、街の色がカラフルに突然映り込んできた感じです。
但し路地に入るとまるで迷路。

そこでまた初めての食べ物が!
ズッキーニです。
イタリア料理と言えばパスタかピッツァしか知る由もなく、この焼いたキュウリは何だと思いました。
食べるとキュウリっぽくなくてあまり美味しい記憶はありませんが、今では日本の食卓では普通の食べ物になりましたね。
もうひとつこの旅行で衝撃だった食べ物がモッツァレラチーズです。
このモッツァレラチーズにキッコーマンの醤油をかけて豆腐代わりに食べたのです。
今では普通にどこのスーパーでも購入することができますよね。
しかもおしゃれにカプレーゼとして。
昔日本にはなかった世界中の食べ物が出回る時代、時の流れを感じずにはいられませんね。

今日はこの辺で・・・つづく