ヤマハ音楽教室のグループレッスンはシニア科で修了し、そこからは個人レッスンのみとなりました。丁度中学生になる頃だったので、一人で先生のお宅に通い、父が仕事帰りに迎えに来てくれました。母が車に乗れない上、6年生からは塾にも電車で通っていたので、その帰りにも父が待っていてくれ、私の足となってくれました。

我が家は郊外なので電車で通うしかないのですが、駅まで10分足らずでも夜は必ず迎えに来てくれる父で、それは大学生になっても変わらずでした。

個人レッスンは今までの怖い眼鏡のS 先生から、ヤマハでもお世話になっていたフタミ先生へと変わりました。その頃、音大を目指すならアップライトからグランドピアノにして、先生も大学の先生に就くという選択肢もありましたが、そこまでの興味もなくただ何となく続けている感じでしたね。辞める選択はない割に練習もそこそこしかせず、母に何時間やりなさい、この曲は何回しなさいと、今ではダメな練習法ですが、母とそんなバトルしながら通い続けていました。

音楽の授業ってどこでも大概音楽室に移動しますよね。それが続ける原動力と言っては大げさかもしれませんが、いいところを見せたいという力になっていたことは間違いありません。
少し早めに音楽教室に行くと、必ず友紀ちゃんピアノを弾いて、と頼まれ、ピアノの周りに人垣ができるくらい人気者だったからです。中学の音楽の先生がショパンの幻想即興曲を弾いてくれてからは必死に練習しマスターしようと、またそれを皆の前で披露しようと必死でした。まるで勉強のできない子が体育祭でヒーローになるパターンですね。

そんなこんなでピアノはずっと続けることに・・・

今日はこの辺で・・・つづく