皆さま、こんにちは。
用事があり東京に行ってました。

さあ、夢の始まりでもある大学生活がスタートしました。うん十年前の話ですよ(笑)
無事、寮への引っ越しも終え、晴れて大学生となり音楽にどっぷり浸かるはずでしたが、滑り止めの科であるため、そこから2年間は私の中では暗黒の時代でした。
勿論その科を志望して入学してくる学生も多いのですから、それはその人の人生ですよね。
ただ私はとにかく言い訳ばかりしていました。

授業で一緒になるとまず何専攻か聞かれます。その時本当はピアノ科に行きたかったとか、入試で失敗したとか、大学の先生に就いていなかったなど、聞かれてもいないのに落ちた理由ばかり話していました。完全にネガティブ思考です。ただ、闘志だけは密かに燃やしていて絶対3年時編入をすると決めていました。

1年生の頃は大学とは別に個人レッスンに就いていました。しかし本来練習が好きでない私が狭い4畳半の寮で、10時の点呼までひっきりなしに練習の音が聞こえてくるのに集中出来るはずもありません。色んな楽器の音が鳴り響いています。しかも練習ですから同じところの繰り返しばかりです。皆が上手に聞こえるんですよね。そうしてだんだん寮が嫌になっていったのです。

もちろん鈴屋旅館のお友だちとは仲良く、弦楽器専攻のお友だちの部屋にはピアノがなく専らそこに集まり、泊まるなんてこともありました。寮はA館からD館まであり、各館の間は12時で閉まってしまいます。仲の良い5人の内3人がA館で、実家が遠い人から配置されたようで、私はD館でしたので12時超えてしまった、なんてことが・・・
昔は部屋に電話も引けず、各館に2台の公衆電話のみで、ホワイトボードに予約したりして、夜には空いているなんてことがなかったですね。今なら各自スマホを持っていますから、そんな光景もノスタルジックで甘く切ない思い出ですね。

月に1度くらい帰省していたでしょうか。自宅から大学まで片道2時間半、電車を4本乗り継がねばなりません。それでも実家に帰省するとホッとする自分がいて、1年生の後半ぐらいから通学に切り替えようと思い始めたのです。2年生になると教育実習があり、それを機に実家から通学することにしたのです。完全に退去したのは2年生の夏休みでした。往復5時間、下手したらそれ以上かかる道のりをその後5年間も続けることに・・・

 

今日はこの辺で・・・つづく