皆さま、こんばんは。
すっかり秋めいて朝晩は冷えるほどになりましたね。

 

タイトルの「大変だったおにぎり」って何のことよって思いますよね。
これが前回の「可笑しなしきたり」のつづきなんです。

大学院の修士演奏会は持ち時間30分のオペラの抜粋です。
ある人は1人で主演を演じ、他の役は講師の先生にお手伝いして頂きながら1つの演目を演じます。
ある人は2人で組んで1時間のプログラムにします。
それが年末も押し迫った12月でした。
私たち1年生も勿論先輩方のお手伝いで各演目の役であったり合唱であったりと出演します。
それに加え、雑務もあるわけです。
その1つが先生方をはじめオペラハウスのスタッフや裏方さんへのおにぎりの手配です。

いや、手配ではなく、握ることです。
当時私は自宅から2時間半かけて通学していましたから、おにぎりを作ることも持って行くことも不可能でした。
同期のTちゃんは大阪梅田の近くに自宅があり、そこで作らせて貰うことになったのです。
そしてその頃から車で通学したりもしていましたから、運ぶのも助かりましたね。
しかもそれは女子の役目でした。
今なら何故?差別などと色々問題ありでしょうが、当時はそんなものでした。
オペラは本番1日では絶対不可能で、必ずゲネプロと言う本番さながらのリハーサルが前日にあります。
しかも6人5演目もあったわけですから相当な時間が必要なわけで、早朝からの仕込みや終演後の後片付けまで、それはそれは大変な時間がかかります。
当の先輩方は修士演奏会という試験ですから当然ピリピリ。
結局Tちゃんの家に泊まらせて頂いて、2人でおにぎりを握りました。
1升炊きを何回か炊いた記憶がありますから・・・
恐ろしい数のおにぎりを握ったはずです。
きっとお母様にもお手伝いして頂き、その上食事やら色々お世話になったことでしょう。
今ではその大変だった記憶しかありませんが、本当にそれくらい大変だったのです。

それは私の修士の時も後輩にして貰ったのでしょうね。
自分の時は忘れるなんて都合良すぎますね(笑)
今思えば、遠方の人ばかりの学年や人数の少ない学年はどうしたのでしょう?
1つ下の学年は女子ばかりの3人でしたから私たちより人数は多くても、3人とも神戸市や堺市など近くはないところから通学していましたから、今更ながらどうしたのか不思議です。

きっとこのしきたりも教授陣が引退された時点でなくなったとは思います。

今日はこの辺で・・・つづく