皆さま、こんばんは。
秋も深まってきましたね。
やっとブログを更新できそうですが、今回は父の肺気胸の備忘録です。

10月10日が最後のブログ更新日でした。
その1週間前の10月3日、父が再々入院、手術をし、やっと10月20日に退院してきました。
8月22日のブログで父が再入院していることを投稿していましたが、それから9月6日にやっと退院したところでした。
そして、また1月もしない内に再々入院したのです。
今回も同じ肺気胸です。

10月2日、母から父が昨日からまた苦しそうだ、階段も1歩ずつ休みながらでないと上れないと連絡があり、その日のうちに実家に戻りました。
じっと座っていると元気そうに見えても数歩歩くだけで肩で息をしハアハアと苦しそうな呼吸をしていました。
これは危険だと判断し翌日病院に行くことにしました。
但し、前回の病院の医師の判断に疑問を持っていたので、もっと大きな病院に替わろうと提案し、翌日万が一、と言うよりほぼ100%入院だろうと予感していたので準備をしていきました。

セカンドオピニオンという手もあったのですが、突然決めたので紹介状が貰えないのと、同じ系列の病院はやめようと言うことになり、初診で日赤病院にかかることにしました。
紹介状のない初診がどれほど時間がかかるか予想はしていましたが、終わったのは夕方4時半、昼食も取れずでした。

呼吸器内科での診察が異様に長くて、待てど暮らせど順番が回ってきません。その間にレントゲンや採血、MRIなどの検査事項を終え、やっと診察室に入ると、時間がかかるのも無理ありません。
先生がじっくり解りやすい説明をしてくださり、こちらの状況や質問にも丁寧に答えてくださるので、何十分いたことでしょうか。
1,2回目の入院、癒着術の経過で、また1月もしない内の呼吸困難。早速呼吸器外科の先生と相談してくれることになりました。
この時点で対応が早いと感じずにはいられませんでした。
前回の病院ではコロナ対策のため、先生とは入院の際の説明後は電話のやり取りのみでした。癒着術という自分の血液を輸血する方法もこちらから催促するまで電話もなく、父からのLINEを待つだけでしたから、本当に有難かったです。

そして翌日早速、呼吸器外科の部長からさっさと手術しましょうと提案がありました。
前回は手術は最終手段で癒着術がダメなら、という回答でしたから、えっ、手術できるの?という感じでした。
前回の入院中、父の肺が一向に膨らまず、徐々に自信を失う父に毎日エールを送りながらも不安な日々で、父の命の灯火が今にも消えそうで怖かったんです。そんな不安が募る中、ネットの中の医師に有料で相談できるサイトがあり、不安を解消したくて相談したつもりが、逆に一層の不安と恐怖を植え付けられることになってしまったのです。
ある人にお父さんを一度も診察したことのない医師に相談してどうするんや、と言われ、ハッとしました。その通りだ。父を診てもないのに判るはずがない。
そこからは不安は不安を呼ぶだけだと自分に言い聞かせ、兎に角父の生命力を信じようと思ったのでした。
引き寄せの法則ですね。

そして、今回の手術、外科部長はやんわりと前の病院ではそりゃ出来る人がいないと父に言ったそうです。
前回の病院も公立のそこそこ大きな病院だったんですよ。
ただ、医師の話す言葉に力と自信があるようには感じられませんでした。
父を診察した今回の呼吸器内科の先生は女性でしたが、言葉に力があり、きちんと目を見てくれる医師でした。執刀医も若かったですが、力が漲っていました。
声を専門にする私にとって、声から出る力強さや色は判ります。声の密度とでも言いましょうか。
勿論不安を拭い去ってくれる穏やかな癒やしの声も必要でしょうが、欲しかったのは自信に溢れた張りのある声でした。説得力のある声です。

声のことはさておき、そうして父は肺に膜を被せ、ブラを取り除く手術を受けました。
このブラという突起物が悪さをしているのだろうと言うことでしたが、高齢と言うこと、20年間たばこを止めていてもそれ以前の40年間のたばこ暦は消えないと言うことで、父の肺は綿菓子のようだとのことでした。健康な人の肺がスポンジだとしたら、弾力があり縮んでも元に戻るのに対し、スカスカのふわふわだそうです。おまけに癒着術をした肺が胸に癒着し、剥がすと肺が破れて裂けてしまう脆さ。
手術は困難を極めたようですが、無事終わり、20日に退院してきました。
手術から1週間もせずの退院でした。

今回の手術で完治することはありません。破れた肺を縫い繕った、補修した感じだと認識しています。
またいつ再発するか、誰も予測することは出来ません。
安静にしていたからと言って再発しないわけでもなく、普通に生活していても再発するときはするし、このまま数年大丈夫かもしれません。
神のみぞ知るのです。
ただ言えるのは、確実に人生の終幕に近づいていると言うことです。
どれほど恩返しをしても足りないほどの愛情と応援をしてくれた父。
当時サラリーマンだった父は音大に行かせてくれ、大学院、留学までさせてくれました。
今しか出来ない経験をしてこい、日本に帰ってきたら早々ヨーロッパなんて行けないのだからどんどん旅行に行けと送り出してくれた父です。
後悔だけはしたくないと、できるだけ実家に顔を出し、父の病院に付き添い、心細がる母の力になりたいと思って、今月だけで4往復しています。日帰りではありませんから、仕事の合間を縫って泊まりがけで、主人の協力もあってこそです。
片道2時間半の距離は決して楽ではありませんが、両親の娘である私にしか出来ないことでしょう。
誰もが通る道です。

でも自分の楽しみもちゃんと作りますよ。
私が活き活きとしていないとね!

 

今日はこの辺で・・・つづく